河原乞食にモラルを問う?
年明けから芸能ニュース関連が忙しいですねぇ。
一連のニュースを見聞きして思うのはどのような図式で報道されるかって事務所の政治力&オラオラ次第なのだなぁと今更ながら強く思いました。
全然違う報道になってたでしょうね。
ベッキーの所属事務所が私が以前関わっていたようなドス黒い強面な事務所ならば
ベッキーは完全に被害者という文脈で、というか例の記事も世に出る事が無かったかも知れません。
それこそベッキーじゃなくて○ッキーならば死人が出たりして(^_^;)
そもそもベッキーにしろゲス君にしろ芸能人、アーティスト=河原乞食に世間一般のモラルを問うてどうする?
というのが私の考えでございますが、彼らをテレビタレントとして考えるならばやむをえないんですよね。
テレビというものは企業がスポンサーとなって成立しているいわば広告媒体に過ぎないのですから世間一般のモラルから反するものは具合が悪いんですよね。
つまりテレビやテレビCMに出ている時点でスポンサー企業の商品購買意欲を促進する役目に過ぎない資本の手先。
時の権力を揶揄したりしてそれこそ命を賭けて芸をした河原乞食と同列にあつかうのは
河原乞食に対して失礼でしたね・・・
異議あり?
2016年流行語大賞候補に『卒論』が一番乗り
ゲスの極みを跡にして
今日は朝から引っ越しです。
歌舞伎町の下品極まりないバブリーマンションを引払い、ここよりは大分閑静な場所に引っ越す事になりました。
明け方一歩外に出ればホストと客の風俗嬢が溢れ、そこいら中ゲロだらけの環境とはオサラバ。
暫く封印していた日課の朝のウォーキングも復活します。
これからは浮世のしがらみを忘れ、花鳥風月を愛で短歌のひとつでも詠む暮らしに耽溺したいと思います
・・・そんな安穏とした日々送ってみたいものでございますが午後から休日にもかかわらず肖像権絡みのトラブル事案解決に向けまたもや闘いに向かう私でございます(涙)。
ごくありふれた起業家の死
年明け早々に昔の同僚が自殺したとのニュースを聞いた。
自身が千葉県内で手掛けていた飲食事業の経営に行き詰まり数千万の借金を抱え、また債権があまり筋のよろしくないところに流れ、今時珍しい位の容赦ない追い込みをかけられたらしく・・・
可愛い妻と育ち盛りの三人の子供を残し彼は現世におさらばしたらしい。
そのニュースを聞いた私は意外にもさしてショックを受けず、ハンチクな切り取り屋の容赦ない追い込みをかけられた時点で私に相談のひとつでもしてくれたなら、借金全額チャラとまではいかないまでも大幅に減額させる位の知恵は貸してやったのにな〜位の思いしか浮かばなかった。
ここで自殺の是非を問うつもりは毛頭ないし、そもそも私は生きる権利があるならば死ぬ権利がだってあるだろうという見識の持ち主である。
問題は借金を苦にしてってことだ。
世の中には数億以上の借金抱えてもピンピンして容赦ない追い込みにも図々しく対峙し無い袖は振れん!とばかり逞しく生きてるおっさんなどゴマンといます。
生命と銭どっちが重いか分かりませんが、たかが借金で死んでんじゃないよと。
生きてりゃ花見が咲くこともあるかもしれないし、自己破産したって生活保護受けたってホームレスになったって何だって良いじゃないか違法でも何でも無いんだし。
逆境の中で自害するんじゃないよ、まだまだやる事あるんだから生きてきっちり落とし前つけようじゃないか。
泣いても笑ってもどうせいつか死ぬんだ、なら生き恥晒そうが何だろうが良いじゃないかバカヤロー・・・合掌。
ミニマリストとダンスミュージック
唐突ではございますが私は長きに渡りディスコ、クラブ、ダンスミュージックが大好きです。
大好きと言いますか自分の人生に多大な影響を与えたものでございます。
どれ位多大かと言うと・・ディスコ(80年代半ばはクラブと言うものが存在していなかった、少なくとも私の故郷北海道では)にハマり過ぎてせっかく入った進学校を中退し、泣き叫ぶ親の猛反対を押し切りディスコの黒服になろうとした位多大な影響を与えてくれました。
初めて従兄弟に連れて行ってもらった札幌のディスコ。
そこには華やかでエネルギッシュで煌びやかな万華鏡のような世界が拡がっていて14歳の私はこの世にこんな素晴らしい場所があるのか!とすっかり魅了されてしまいました。
あぁあれから30年、ハウスミュージックの洗礼を受け海外のクラブ、パーティへも数多く参戦し20世紀末はレイヴカルチャーにもズッポリ漬かり、自身でパーティをオーガナイズしたりファッションブランドやお酒のメーカーなんかとコラボ企画したりetc...
近年は足遠くなっていましたがダンスミュージックは生活の傍らに常に鎮座しておりました。
再上京してひと段落した折、ふと踊りにでも行ってみようかと思いつき代官山のナイトクラブに久しぶりに出掛けました。
昔なら関係者にゲストの手配をしたりしてエントリーしたものですが、今更そんな連絡をするのも失礼なのでエントランスで料金を払いエントリー。
階下からは身体と魂を揺さぶる重低音、これだよこれ。
すぐさまダンスフロアに駆け込み良質なハウスミュージックに身を委ねた。
目を閉じると色んな想いや記憶がダイジェストの様に駆け巡ってきた。
涙が出そうになった、いや泣いていた。
私は明らかに様子のおかしいおじさんだった。
これまで凄まじく目まぐるしい環境の変化を経験してきた。
しかしながら何処に居ようが何をしてようがどんな状況だろうが、全てを投げうってどれだけミニマリストになろうが
ダンスミュージックに肉体と魂が呼応する事は無くならないんだろうな
あの14歳の時からずっと死ぬまで。
すっかりあけちゃいましたが
あけましておめでとうございます。
昨年秋より人生がはたまた急展開してすっかりブログの更新を怠っておりましたが何とか生きております。
サラリーマン生活の破綻→ユニオンの協力を得ての団体交渉の末に和解金とグループ代表取締役の謝罪文ゲット!
そこにタイミング良く旧知の知人が来札し死にかけの会社の再生と芸能関係の新事業立ち上げを依頼され悩んだ末に快諾。
11月より先方が借り上げている新宿は歌舞伎町のマンションに居を構えております。
とはいえ所有物はスーツケース一つに衣装ケース2つ、増えたモノといえばボーズの30年前のラジカセと仕事上必要不可欠なMacBook Pro
ミニマリストぶりは健在でございます。
しかし一年余ぶりの東京は騒がしいというか何というか、この行間の無さというか余白の無さに再上京当初は辟易しておりましたが行間も余白も自らが作るもの!
と思えたらだいぶ楽になりました。
新たな視座からまた駄文を書き連ねて行きたいと考えておりますのでお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
赤い闘士の気骨を見た!①
皆さまお久しぶりです。
今回会社側との抗争・・もとい係争に何故至ったのかは諸事情により割愛しますm(_ _)m
いくら海千山千の私でも企業相手に1人で戦うにはチト分が悪いのである筋に援軍を要請・・とは言っても良くない筋の人ではありません、何せまっとうな権利闘争でございますから。
今回の戦いのパートナーに選んだのは百戦錬磨の手練のやり手弁護士!・・と行きたいところでしたがあまりお金はかけたくないので個人でも加入できるユニオンに加入し
労働闘争に命をかけて45年!
Y議長というバリバリの労働闘士の方にお力添えしていただきました。
またこのY議長が凄かった・・つづく